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2006/01/16

虹の橋で待ってる

昨日、めいちゃんのお葬式をした。生きているようなその姿を見るのは最後になった。火葬され、お骨になった。
めいちゃんと一緒に育った妹はひどく悲しんだ。

今の私は悲しむよりも、めいちゃんに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。
私にできることをしなかったために彼女を死なせてしまったからだ。見殺しにしてしまったのと同じだからだ。
入院させている時、「私は元気だから早く家に帰りたい!」とでも言うように懸命に鳴いていた。すぐに引き取ってくればよかった。「退院したらこんなご飯を食べさせてあげたいって」いろいろ調べたりしてる場合じゃなかった。
どんなに言い訳しても慰められても、めいちゃんにとって「知らないところに置き去りにされて、苦しんで死んだ」事実は変わらない。思っても祈っても、めいちゃんにはもう謝ることができない。後で「死んでも30分間は聴覚が機能している」ということを知ったが、あの時私はただ泣くしかできなかった。

入院させなければよかった、自信がなくてもホメオパシーをあげてみればよかった、もっと早く異変に気付くべきだった、食生活にもっと気を遣ってあげればよかった、もっと遊んであげればよかった。

昨日は朝からめいちゃんの写真を探して集めた。デジカメと携帯カメラの写真が80枚。全身が写っているものが少なく、いつもカメラを向けると逃げるので顔だけブレたりした写真ばかりだった。普通のカメラの写真も少ないながらあって、小さい妹と一緒に子猫のめいちゃんが写っている。

当たり前のようにそこにいつもいた。でもそれは当たり前のことではなかった。それは猫や犬だけじゃない。人間もそうだ。
命とは、時間のこと。めいちゃんは大切なことを教えてくれたと思う。

1週間前そこの座布団にいためいちゃんは、今日はもう壷の中にいる。
今にもテーブルの下で家族の足に擦り寄ってくるような気がしている。
年末に買ってきてばかりのめいちゃんの座布団が、もういない持ち主を待っている。

火葬してくれたところの待合室に、「天国への橋」という本が置いてあった。ペットは亡くなると天国の手前にある虹でできた橋へ行くらしい。ネットでも「虹の橋」で検索してみたらその詩を読むことができる。(こちらで読めます
本当に虹の橋で待ってるのだろうか。

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